南 郁夫の野球観察日記(193)「大下弘 虹の生涯」神戸三宮と西宮球場と宝塚

2025年2月6日 (文・写真/南 郁夫)

偶然手にした本から思わぬ発見をすることがある。今回は、オフの野球読書企画。
親戚の家の納戸に眠っていた文庫本「大下弘 虹の生涯」(辺見じゅん・著、文春文庫)を何気なく読んでみたら… あれまいろいろ身近な光景に繋がって、という話である。

青バットの大下弘。

名前は知ってるが、なんせ私が生まれる前年に球界を引退した、レジェンド選手。歴史上の人物という点では徳川家康となんら変わるところはない。そんな見たこともない野球選手の昔話おもろいか? という杞憂は、読み始めてすぐ吹き飛ぶことになる。

大下弘は1922年(大正11年)神戸市三宮生まれ!でいきなりの親近感。三宮遊郭(そんなんあったんや)近くの小料理屋で生まれ育ち、幼年時代の遊び場が三宮神社(神戸大丸前)や生田神社というから、神戸三宮が生んだスターではないか。少年となった大下が作った野球チームの練習場所は、市役所南の東遊園地。話が視覚化されてどんどん頭に入ってくる。

高校時代に台湾移住し、後に「天才」と謳われる野球の才能が爆発。学業成績も良くて15歳にして小説を書いていたというから、びっくり。古今東西、そんな野球選手おる? しかも173cmと当時としては長身で甘いマスク。もちろん女性にモテて戦時下に「ラブレター事件」(女学生の片思いだが)なる大問題を起こし、すでにのちの波乱の人生の予兆を見せている。

そこからの「敗戦の焦土に彗星のように現れた天才打者の破天荒な人生」は、著者の辺見じゅん氏の筆力もあって実に痛快で、しかも戦後のプロ野球黎明期を知る上で格好の教科書となっている。そこは本書を読んでいただくしかないが、大下がいなければ職業野球なんて戦後の混乱に埋もれて消滅していたかもしれない、というのが読後感である。彼の出現は、それほどの事件だったのだ。

大下の「虹を架ける」ホームランが敗戦で落胆した人々の人生に巻き起こす、さまざまなドラマ。ただし大下自身は突然現れた異能の天才(あるいは神)にすぎないのであり、行動は一般人には計り知れない。その奔放な行動に翻弄される周囲(女性関係含めて)との葛藤はまた天才の宿命であり、だからこそ大下弘伝説は唯一無二である。

ホームランには品格が必要である、と私は思う。ホームラン打者はアーチストであり「ヒットの延長」なんてのはホームランに入れてはならない。大下のホームランは、それはそれは美しい放物線を描いたそうで、人々はそれを見るため球場に足を運び、空を見上げて「希望」を抱いたという。誰だって、痛快なホームランが見たいのだ。

さて。この本を読んで個人的に「お!」となったのは、やたら「西宮球場」が出てくること。ちょうど先日のコラムで西宮球場を回想したところだが、1937年(昭和12年)に開場した西宮球場は戦火をくぐり抜け、後楽園球場とともに戦後プロ野球(1リーグ時代)開催地の「二つのうちの一つ」となっていたとか。プロ野球復興の舞台が西宮球場というのが、誇らしい。(甲子園球場は米軍が接収しており、戦後しばらく使えなかった)

そして。戦後プロ野球初ホームランをかっ飛ばしたのが大下弘で、その舞台がまさに西宮球場。ニュース映画にまでなったその「事件」をYouTubeで確認すると、当時の西宮の歴史的熱狂が伝わってきて感慨深い。大下のフォームは典型的なアッパースイングで、明らかに「狙って打つ」アーチストだ。その試合は顔見世興行としての東西戦だったのだが、なんとリーグ戦再開後の戦後「公式戦初」ホームランも大下弘@西宮球場というから、彼と西宮の結びつきはことさら強い。

大下の活躍もあり一気に人気の出た戦後プロ野球には世間の「闇」も忍び寄り、西宮球場の二階席は賭け屋の溜まり場と化して「阪急」の選手に魔手を伸ばしていた、という記述もある。「スタジアムの二階席から… 八百長」!(笑)。のちにこの球場が競輪場としても使用され二階席には競輪用の建造物などもあったことを思うと、なんとも歴史は面白い。

本の中でもう1箇所、私が「お!」となったのは、大下が最初に所属したセネターズ~東急フライヤーズ(今の日本ハムファイターズ)の西宮遠征時の宿舎が宝塚「鳥金」と、はっきり実名で書かれていたこと。今は面影もないが当時の宝塚には温泉旅館街があり、ネットで調べてみるとどうもその名前の建物が残っているようなのである。宝塚在住で何事につけ観察者の私としては、足を運んでみるしかないではないか。

かつての宝塚温泉旅館街は、宝塚歌劇場の(武庫川を挟んだ)対岸側に存在していた。今は源泉のある「ホテル若水」しか残っておらず、無粋な高層マンションやラブホテルが立ち並ぶばかり。レトロモダンだった宝塚ホテルも壊され、絶賛「風情のかけらもない」再開発中である。

こんなとこに当時の旅館の残像などある?と思いながら歩き進めていくと… あったのだこれが。ホテル若水の道路を隔てた反対側にひっそり佇む古い建物の壁に「金里登」の文字が!!そう。右から読むと「と・り・きん」ではないか。ネットで得た情報がなければ私もわからなかったろうが… 。

本では「鳥金」と記されていたが、おそらく「登里」は「鳥」の粋な当て字なのだろう。「とり金」には間違いないし、同じ屋号が同じ温泉街に二つはないはず。崩壊寸前のいかにも旅館風の入り口もあったので、間違いなしとしておこう。比較的新しい「珈琲館」という表示が残っているので、旅館廃業後に喫茶店となっていた模様。現在はそれも廃業しているようで、人の気配はない。

うわあ。ここに間違いなく大スターの大下弘がいたのである。あの柔らかい笑顔で。本人を見たこともないのに、なぜかドギマギしてしまう。こんな小さい旅館に野球チームを詰め込んでいたのか。貧しいが、おおらかな時代。本を読めばわかるが、大下は温泉の芸妓をここに呼んでいたに違いない。現代の世相なら完全にアウト!アウト!アウト!で三者凡退な、大下弘の個人生活。笑。

というわけで。1冊の本からいろいろな妄想が広がって、十分に楽しませてもらった読書顛末。一銭もかかっていない、シーズン・オフの贅沢な時間である。「大下弘 虹の生涯」は「青空が広がる野球場で大下の放物線が見たかったなあ」と切実に思わせてくれる、好著であった。

今シーズン、神戸の球場で。
誰か美しい虹を架けてはくれまいか?

 


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南 郁夫 (野球観察者・ライター)
通りがかりの草野球から他人がやってるパワプロ画面まで。野球なら何でもじっと見てしまう、ベースボール遊民。あくまで現場観戦主義。心の住所は「がらがらのグリーンスタジアム神戸の二階席」ブログ「三者凡退日記」
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