南 郁夫の野球観察日記(221)大阪球場があったころ

2026年1月13日 (文・写真/南 郁夫/Yasutomo)

昨年末から年始にかけて、大阪なんばの高島屋で「南海ホークス展」が開催されていて、思わず行ってしまった。西宮球場のことは未練たらたら懐かしがってきた私だが、そろそろそんな昭和回顧はやめとこうと思ってた矢先なのに。

高島屋といえば、大阪球場(正しくは大阪スタヂアム)隣接でスコアボードに巨大な広告を出していた、南海ゆかりの百貨店だ。球団消滅から38年、球場消滅から28年のいま、その高島屋がわざわざ企画したイベントということなので、ちと期待して行ったのだが…。

結論。とっても「簡素」だった。場内撮影禁止だったのでそれをお伝えしようもないが(禁止の意味を深読みしてしまう)、地味な文系クラブの文化祭みたいなパネル説明をすべて読む趣味でも持ち合わせてなければ、ほんの数分で見終わってしまう規模。もちろん平均年齢の高い入場者たちは出口で「こ、これだけ?」な顔をして、立ち尽くしていた。無料ならまだしも900円取るだけにね(1000円取る勇気はなかった?)。

ここだけは撮影オッケーな、往年のスコアボード写真の前の記念撮影スポット。

んーまあ、しょうがないか。野球の展示なんて、写真と古いユニと錆びた表彰カップくらいしかないか。そこを超えてくる演出を期待したのだが…。でも、全く南海ホークスのこと知らない世代に「かつて難波に球団と球場があった」を知らせるには、いい企画なのかもしれない。

と。不自然に自分を納得させるも、よければ買おうと思っていた記念グッズも思いっきり「外れ」(個人の感想です)で、とほほのほ。もれなくもらえたこのステッカーで「よし」とするか…。


(さっそく電動チャリに貼った)

でも。せっかくここまで来たし、南海ホークスの思い出にもう少し浸りたい。大阪球場には最晩年に何度か足を運んで、殺人的に急こう配なスタンドの記憶はある。で。球場跡地にできた「なんばパークス」の「南海ホークスメモリアルギャラリー」がどうなったかを確認しておこうと、お隣の商業施設に足を運んでみることに。開業時に見に行った覚えがあるのだ。

店内マップを頼りに探してみると、開業時にあったはずの場所から移設されて、ずいぶん立派になったギャラリーが独立して屋上(9階)に鎮座していて、びっくり。確か開業時は下層階の片隅の壁にひっそりあったはず。

ギャラリー、立派やん。さっき見た南海ホークス展をコンパクトにしたらこうなる、てだけで情報量はほぼ同じ。こっちは無料で無人。選べるムービーで球団の歴史が簡潔にわかる。野球場の面影が完全に消失したビルの谷間で、この地に確かに存在した昭和プロ野球の郷愁に浸る、シュールなひととき。

特筆すべきは。かつてのギャラリーでは無視されていた野村克也の存在が、復権していたこと。もちろん「南海ホークス展」にも野村克也の展示はあった。

調べるに。2021年に行われたギャラリー・リニューアルの際に江本孟紀氏が発起人となって前年に亡くなった野村克也の名前を残すクラファンが行われ、追加されたとか。どう考えても南海ホークスの歴史に野村克也がなかったのがおかしいが、球団とノムさんの間にはそれほどの「おどろおどろ」があったわけだ。噂は漏れ出ているが(沙知代…)。そんなベタな人間ドラマが、いかにも昭和なプロ野球で味わい深い。

ご存じの方も多かろうが、なんばパークスには阪急西宮ガーデンズと同じように、かつてホームベースがあった場所にオブジェがある。ガーデンズと違ってピッチャープレートまであるのだが、ベースとプレート間にツリーが立っていて(訪れた日はクリスマスを過ぎていたのに)、「そこに立てたらあかんやんか」とつぶやいた。

これらのオブジェに関心を払っている人など皆無で、誰もが「踏んでいくだけ」なのが諸行無常だが、少なくとも大阪球場と西宮球場の跡地がどちらも商業施設として栄えていることは、なんとなく救いにはなる。なんの救いかわからんが。

さて。南海ホークスと大阪球場に関して、イベントやギャラリーに行かずともそのすべてを描き切った名著があることをご存じだろうか?

これぞ「野球ファンとパ・リーグの文化史」の副題どおり、都市社会学と建築学の専門家が南海ホークスのみならず関西にかつて存在した球団の成り立ちやファン行動を描き切った高次元な野球資料であり、私の永遠のバイブルなのである。
現在、簡単に手に入る本なのかどうかはわからないが。

選手や監督目線、球団目線、ファンの一方的な目線による野球本は世の中に山ほどあるが(私の本も含めて 笑)、ここまでアカデミックに野球の「社会背景」を正確かつ客観的に描き切った作品に出会ったことはない。それでいて著書たちの野球愛がほとばしる、名著中の名著。何回(南海)読んで勉強させてもらったことか。
すべての情報が貴重であり、イベントやギャラリーの公式発表では手に入らないものだ。

たとえば。
南海の戦後プロ野球復興時のチーム名が「グレートリング」だったことをご存じだろうか?それがたった一年で「ホークス」に変更された理由は…「グレートリング」と聞いた進駐軍米兵たちが大笑いしたから。
軍隊でその言葉は「下ネタ」スラングだったのだ。何を表すかはご想像にお任せする。慌てて職員たちが考えた別名が「コンドル(ハゲタカ)」だったが、球団代表がハゲだったので遠慮して(笑笑)、「ホークス(ただのタカ)」に落ちついたのだとか。そんな由来のチーム名がいまだに使われているという、面白さ。
「大阪球場があったころ」に興味がわいたら、ぜひこの本を手に入れて読んでほしい。私も再読中である。

というわけで、今年もこんな「野球の迷い道」におつきあいくださる方は、よろしくお願いします。

  

 

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南 郁夫 (野球観察者・ライター)
通りがかりの草野球から他人がやってるパワプロ画面まで。野球なら何でもじっと見てしまう、ベースボール遊民。あくまで現場観戦主義。心の住所は「がらがらのグリーンスタジアム神戸の二階席」ブログ「三者凡退日記」

 

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