スポーツイラストレーターT.ANDOHの「OUTSIDER’s ReCALL」(6)生き残ることが難しいプロの世界のお話
2022年8月24日 (文・イラスト/T.ANDOH)
こんにちは。
イラストレーターのT.ANDOHです。
ご参加の皆さん、いかがだったでしょうか?
そうです。
前回のお話のとおり、僕もとても楽しみにしていましたが、新型コロナによる自主隔離のため会場へ行くことができませんでした…。
マックさんのお話は終始お客さまの笑いを誘い、
マック鈴木のおおらかさ、明るさの中にも、強く長く野球の世界で歩まれてきたスキルと人間性の感じるイベントだったと聞いています。
サーパス神戸時代のマックさんのことをお話したなかで、「プロ野球」とりわけメジャーリーグという茨の道を歩まれてきた選手の強心臓なエピソードをもう一つ思い出したので、本日はそのお話をいたしましょう。
吉井理人(よしい まさと)
2003年にマック鈴木とともにオリックスへ加入したベテラン右腕。
日本プロ野球でも、1989年近鉄の優勝劇、1997年ヤクルトの日本一に貢献し、その後アメリカでもメジャー3球団で活躍した投手です。
ある日のサーパスの試合、ウエスタンリーグの中日戦で登板していた吉井投手。
中日の若手の有望株だった堂上剛裕選手との対戦の時、モーションに入った吉井投手をよそにタイムをとった堂上選手。
そのタイミングに怒った(であろう)吉井投手が次に投げたのは、堂上選手のヘルメットをかすめるような鋭いビンボール。
メジャー流の「報復行為」でした。
堂上選手にも「非」があったと認識したのか、それ以上に両軍がピリピリすることはなかったのですが、まだ新人だった堂上選手と我々観客はすっかりとその吉井投手の迫力に押されてしまいました。
一本気で血気盛んな一面もあった吉井投手らしい、若手選手への生きた教訓?
メジャー帰りのベテランならではの「洗礼」を見せつけた一幕でした。
引退を決めるまではトコトン現役にもこだわったという吉井投手でしたが、現在は筑波大学で修士課程も得て、コーチ業を探求する日々を送っているそうです。
オリックスへの「再入団」
コーチになることに最初は抵抗感もあったという吉井さん。
現役時代、その血気盛んな性格でコーチと衝突したエピソードも数多くあります。
それでも、オリックスブルーウェーブの最終年となった2004年には、一旦は戦力外通告を受けたものの、近鉄時代の恩師、仰木監督がオリックス・バファローズの監督に決まった時の「吉井を残してくれ」という鶴の一声で、新球団に「再入団」を果たすという異例のエピソードもありました。
「堂上事件」もたしかバファローズになってからのお話だったと思います。
豊富な経験と牙をむくスタイルでタフなプロ現役生活を過ごしてきた吉井さん。
一方で、コーチとしてプロ野球を支える側に転身できたのも、仰木監督、野村監督という名監督とコーチがいたからこその賜物なのかもしれません。
メジャーリーグへの門戸は広がり、たくさんの選手が行き来するようになってきましたが、吉井さんのような豪快なエピソードを持つ選手は少なくなってきている気がします。
これも昭和のプロ野球を過ごした吉井さん世代ならでは、でしょうか。
しかし、
現在でもマイナーリーグとメジャーリーグの壁はその技能と人間性とも言われています。
貪欲であり、ドロドロした足の引っ張り合いなどもあるというプロの世界。
それでも、
ずるいことをしたり、弱いところを見せたりする選手はメジャーに勝ち残れる「器」にはなれないとも聞きます。
そんな厳しい世界を歩んできた吉井さんなりの生き残るための「強さ」を、プレーで体現した貴重なシーンでした。
マック鈴木とはまた違ったプロ野球の歩き方。
日本のファームでも、幾多のスター選手が必ず通ってきた道で、今日もスターを夢見る選手たちのアツい戦いが繰り広げられています。
次回は、
メジャーといえば、あの「スーパースター」のお話に触れたいと思います。
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スポーツイラストレーターT.ANDOH
おもにスポーツを題材にしたイラストやデザインの創作で、スポーツ界の活性に寄与した活動を展開中。 プロ野球やプロバスケBリーグのチーム、選手にイラスト提供。 オリックス・バファローズには伏見寅威選手、中川圭太選手にロゴデザイン、イラスト提供中。 名古屋在住にも関わらず20年来のオリックスファンであり、その由来とイラストレーターの起源は神戸にある…!? |
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