スポーツイラストレーターT.ANDOHの「OUTSIDER’s ReCALL」(7)イチローがいなかったら…

2022年8月27日 (文・写真・イラスト/T.ANDOH)

こんにちは。

イラストレーターのT.ANDOHです。

オリックスで鈴木といえば… マック鈴木はもちろん、K-鈴木もいますが、

やっぱりイチロー選手のことをお話しないわけにはいきません。

そういえば、鈴木平って選手も、いましたねぇ…。

イチロー選手が全盛だった時期にプロ野球、そしてメジャーリーグが見られたことは、ほんとうに大きな影響と素敵な思い出をたくさんいただきました。

イチローがいなかったら…

オリックスがナゴヤドームで主催試合をすることもなかったし、そうすれば、僕がオリックスに出会い、スポーツビジネスのマインドでイラスト活動することもありませんでした。

イチロー選手の思い出といえば、ワンバウンドをした投球をヒットにしたことでしょうか。

2000年5月13日のオリックス対ロッテ戦

後藤利幸選手の投げた投球はホームベースのわりと手前でバウンドし、跳ね返った球がいい感じの高さで打席へ。

それをはじき返してライト前ヒット…

やっぱこの人は天才やな。

と思いました。

規定打席で4割に到達するか…!?

と期待された1999年のあるオリックスの試合。

ナゴヤドームで開催され、その4割到達まで、今日何打席で何本打ったら達成…といったデータをアナウンサーと一緒に計算をし、放送ブースで見守ったこともありましたね。

ワンバンのヒットに、4割打者、210安打…

様々な固定概念をイチロー選手は記録とともに打ち破っていく。

ジョニー黒木、中村紀洋、松坂大輔といったライバルの登場…

僕は神戸の人間ではありません。

震災復興と日本一という感慨よりも、90年代のパ・リーグを盛り上げ、次代への布石を積み上げてくれた功労者として、イチロー選手を評価しています。

そして、

マックからイチローへ… シアトルとの不思議なご縁も二人のSUZUKIがバトンをつなぎ、輪を広げていきます。

マリナーズを応援していた僕のところに、今度はイチローがやってくる!!

そしてイチロー選手はアメリカも認めざるをえないような目覚ましい活躍を果たし、加入年の2001年シーズンは、チームも116勝という驚異的な成績で地区優勝を果たしました。

レーザービーム

イチローヒット(内野安打など)

いろいろとエピソードはありますが、なによりも小柄で細身のイチロー選手は、「日本人らしい体型」で世界と戦えた選手ではないでしょうか。

そこに類い希な身体能力と、惜しまない努力が重なり確立されたイチロー選手のプレースタイルは「スモールベースボール」という日本の野球の特徴の一つにもなりました。

その15年後には大谷翔平という素晴らしい才能を持つスーパースターが現れ、日本人選手の身体能力も続々と上がっている…。

日本人の生活環境や野球レベルの進化は、メジャーリーガーの進出とともに発展したと言えます。

さて、

イチロー選手の活躍とともにマリナーズ熱があがるなかで、自分でも何度かシアトルに行くことができ、シアトルの街が自分にとっても特別な街となっていったわけですが、さらに不思議な縁ができます。

僕はコロナ前に最後に行ったシアトルが2018年5月だったのですが、イチローさんのアメリカでの最後の試合出場の試合を見届けることになります!!

開幕ギリギリでメジャー契約を勝ち取ったイチロー選手。

マイアミ・マーリンズから古巣シアトル・マリナーズへ。

これは、誰もが“花道”であることを予感できるものでした。

開幕こそ華々しくスタメン出場でプレーしたイチロー選手でしたが、開幕前に怪我をしたこともあり、その出場機会は1カ月の間でもどんどん少なくなっていきました。

それでも偶然、いつもシアトルに一緒に行く神戸のオリックスファン夫婦と、なにか導かれるように衝動的に決まったシアトル旅行。

2018年5月2日のアスレチックス戦にスタメン出場をしたイチロー選手。

「わ!イチローがスタメンだよ!!」

アメリカの友人にメールを送ったら、「どうやら今日が最後を示唆する出場らしいよ」という意味深な返信。

最初は、メール文も英語なこともあり「何のこっちゃ?」と思いながら読み返してました。

メジャーチームが功労者への「花道」を作る時、たしかに日本でも行われるような「粋な演出」があります。

ところがイチロー選手はフル出場。

しかも盗塁してますからね…

最後の打席は8回裏の空振り三振でしたが、何もなく終わったんです。

でもどうやら、アメリカ内では「セミリタイア」という報道は通っていたようで、ホテルに帰ると日本でテレビ局に勤める、やはりオリックスファン仲間から

「安藤さんシアトルいるんですよね!?どうも今日の試合を持ってイチローが引退するって報道が来たんですよ。何か現地の情報ありませんか?」

という、封切り前だというプレスリリースをオフレコで教えてくれました。

そう。

その試合をもって「選手ロスターから一旦離れ、会長付きアドバイザーになる」というセミリタイアを宣言したのでした。

体力と相談し、戦力としてチームとの調整ができたらもう一度戻ってくると。

それが、「花道なし」フル出場の理由でした。

ちなみに、

このシアトル滞在中には、エンゼルス戦も観戦し、「メジャーリーガー・大谷翔平」のルーキーシーズンもこの目で見て、しかも今シーズンで引退を宣言し、通算700号ホームランという金字塔を築こうとしているプホルズ選手(現カージナルズ)の通算3000本安打達成というすごいラッキーな試合を見ることができました。

そして、

翌年3月のメジャー開幕を日本で開催するという発表。

イチロー選手は宣言どおり2018シーズンに打席に立つことはなく、「ここが花道か」と、みんなが悟ったでしょう。

そして、先述のアメリカの友人から「日本にいる息子に会いに行く」という話とともに、「一緒に行こう」と言われて送られてきたチケットが、2019年3月21日のシアトル・マリナーズ東京ドーム開幕戦のチケット。

イチロー選手は2019年シーズン開幕ロスターに選ばれて、日本でオープン戦を含め数試合出場。

そして開幕2戦目となる3月21日のオークランド・アスレチックス戦。

イチロー選手は試合中に「この試合をもって引退」という報道を流します。

その情報が球場内をざわつかせる中、打席に立っては鋭い当たりのファウルで粘るイチロー選手。

そしてファーストゴロで打席を終え、その裏の守備に一旦ついたところで呼び寄せられるイチロー選手。

それが、イチロー選手の本当の「最後の試合」となりました。

僕は、イチロー選手の「日米で最後の試合」を見ることができたのです!!

シアトルとマリナーズを30年近く応援してきた僕にとって、イチロー選手がくれた奇跡のようなプレゼント。

コロナ前の出来事でもあり、本当に導かれたような一幕。

しかも、神戸で、名古屋で、オリックスのイチロー選手を見てから約20年。

不思議な、不思議な神戸とシアトルが結びつけてくれた思い出です。

そんなイチローさんは、この週末のクリーブランド・ガーディアンズ戦において、Mariners Hall of Fameといわれる、シアトル・マリナーズが定めるチーム殿堂に表彰されることになりました(しかも10人目!)。

日米でも殿堂入り、そして背番号51が永久欠番となる可能性もあります。

オリックスも暫定的に欠番となっている背番号51

もともとオリックスは、やはり欠番としていた背番号7(福本豊さん)や、近鉄の永久欠番だった背番号1(鈴木啓示さん)をしれっと使っちゃうような球団ですが(苦笑)、さすがに日米でリスペクトされる背番号51は、恐れ多くて(笑)、間違いなく新たな伝説として残されるでしょう。

次回は、そんなシアトルとのご縁をさらに深めてくれた「青い目の親友」との不思議な出会いのお話をお話しします。

 

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スポーツイラストレーターT.ANDOH

おもにスポーツを題材にしたイラストやデザインの創作で、スポーツ界の活性に寄与した活動を展開中。

プロ野球やプロバスケBリーグのチーム、選手にイラスト提供。

オリックス・バファローズには伏見寅威選手、中川圭太選手にロゴデザイン、イラスト提供中。

名古屋在住にも関わらず20年来のオリックスファンであり、その由来とイラストレーターの起源は神戸にある…!?

 

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