南 郁夫の野球観察日記(105)野球観察クラシックス「ラヂオと野球」

2022年3月11日 (文/南 郁夫)

 

みなさん、シーズンオフは何をしてましたか?「野球観察日記」を買って読書?(こらこら)ネトフリでドラマ一気見? え?そんなことしなくても、ネット上には公式・非公式入り乱れて贔屓のチームや選手の動画が溢れているのでオフなんてないって?そうなんすよね。いまやオフでも野球情報みっしりで、それはそれでファンとしては嬉しいけど… ちょい昔のオフの「飢餓感」も懐かしいかも。

というわけで、2002年に昭和を思い出して書いたこのコラムを紹介しましょう。野球に焦がれていた、私の原風景です。

「ラヂオと野球」

Back to 1970’s…

「ただいまー」と小学校から帰ると、母がテレビで「3時のあなた」を見ている。手を洗ったふりして皿に取り分けられた「おやつ」(袋ごとお菓子を食べることなど許されない時代)に飛びつき、そ知らぬフリでそのまま「水戸黄門」の再放送を見ようとする私に、母の怒号が飛ぶ。

「勉強しなさいっ!」

時代は高度成長の真っ只中。世の中には明確にレールが敷かれ、日本中が学歴神話を本気で信じていた、あの頃。「いい大学出ていい会社に就職しなさいっ」をアホの念仏のようにくり返す母親のせいで(本棚には石原慎太郎 著「スパルタ教育」が!)、中学受験をさせられる小6の私は野球中継はもちろんテレビというものを見せてもらえず、コイズミ学習机に縛り付けられていたのだ。

小学生の分際では悲しい哉、まだそれに反抗するだけの力がないので、勉強部屋に押し込められてしまう。でもな、いくら堰き止めても「水は低い方にしか流れない」。私は「ラヂオ」という悪魔の箱を、既に得ていた。父が放置していた崩壊寸前のポータブル・ラヂオを、密かにな。

机に座るや否や、引き出しの奥に巧妙に隠したそのラヂオのスイッチを黙視で探り当て、オン。常時接続されたイヤホンをシャツの下にたくしこみ、イヤーピースを襟から出す。それを耳に差し込んで巧妙に頬杖をつけば、偽装工作は完成である。ちびっこシークレット・サービスか!(ちびっこは死語だ)

そしてひたすら、6時前の野球放送開始時間を、待つ。小学生が「小沢昭一的こころ」とか、聞きながら。え?パ・リーグのラジオ実況なんてあったのかって? 白状すると、その頃は関西の阪神ファン以外の子どもはみんな、巨人ファンである。なんせ世の中には巨人の情報しかなかったから。阪急ブレーブスは連れて行ってもらえる野球、普段の野球は巨人中心だった。

いよいよ6時が近づき、威勢のいい音楽とともに野球放送が始まると、私の頭の中の野球場に「ぽっ」と照明が灯る。子供らしい妄想や子供らしくない妄想は消え去り、空想の野球場だけがみっしりと脳内に広がっていく…。ラヂオで聞く野球。

「今晩の後楽園球場。左から右へ比較的強い風が吹いています」

こんな実況アナの声を合図に、私の脳内プレイボタンがオン。声だけで変換されていく、野球3Dバーチャル映像。

ピッチャーの手から落ちたロジンバッグの、白くて短い粉煙。放り投げられたバットが描き出す、グリップを支点とする不完全な円。

三遊間で踏ん張るショートストップの、真一文字に結ばれた唇。一塁手がピッチャーにボールを戻しながら立てる、指で示すアウトカウント…。そんなデティールまで、はっきりと。

意味もなく広げられた真っさらの参考書(「力の5000題」やら「応用自在」やら… いまだにあって怖っ)の上に、あれやこれやのフィールドで起こるすべてが、私にはまざまざと見えている。妄想とも言い切れない、現実とも言い切れない、私だけの野球が。

頭はフル稼働し、他のことなど一切入る余地はない。「ごはんよ!」と母親が食事を告げる声も聞こえない。何度目かの大声に慌てた拍子にイヤホンが抜けて音が漏れることがたまにあり、「んーわーえー」と奇声でラヂオの音をかき消す、小学生。母の瞳に浮かぶ、疑惑と恐怖と不安の色。

幸い、ばれることはなかったが(ばれてたのかもしれないが)、

あの時期ほど野球の1球1球に集中したことは、ないかもしれない。1試合聞き終わったときにはぐったり。もちろんあとで「動画」で確認できるわけではないので、試合の詳細はその脳内映像のみで記憶されていくわけである。ラヂオで聞いただけの淡口のホームランの弾道を、私はクイっと腰をひねるフォームとともに映像付きで記憶しているのだ。

こうして野球妄想の土壌が培われていった。

オトナになれば、当たり前だが誰にも叱られずに球場にも行けるし、中継はいろんな端末で見放題だし、ラヂオでしか野球に触れられなかった状況に比べれば「天国」である。しかし、なんだか楽をしてしまっている気がする。集中力が薄れまくっている気がする。球場にいてるのに「さっきの回、どうやって点取られたんだっけ?」などと。ラヂオで聞いていたあの頃は、そんなことは絶対になかった。

全てが見れるのに全てを見ていないのではないか? そういうのが怖くて、私は一生懸命野球を語ろうとするのかもしれない。見ればわかるものを、わざわざくどくどとね。最近ではYouTubeの「ダイジェスト」で試合を見た気になっている自分が怖い。

スマホで試合中継を見ることすら可能な現在、ラヂオで野球を聞くことなどもう二度とないのかもしれないが、あの頃の野球に対する「焦がれるような気持ち」を、もう一度思い出してみたい。

もうすぐ、開幕ですね。

 


<過去コラム一挙掲載!>
オリックス、元メジャーリーガー、女子野球…ベースボール遊民・南郁夫の野球コラム集。

 

南 郁夫 (野球観察者・ライター)
通りがかりの草野球から他人がやってるパワプロ画面まで。野球なら何でもじっと見てしまう、ベースボール遊民。あくまで現場観戦主義。心の住所は「がらがらのグリーンスタジアム神戸の二階席」ブログ「三者凡退日記」
著書「野球観察日記 スタジアムの二階席から」好評発売中!
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