南 郁夫の野球観察日記(222)失われた球場 最終章
2026年2月1日 (文・写真/南 郁夫)
ノスタルジーもほどほどに、と思いながら前回、大阪球場のことを書いて「ひとつ、見落としてる」と気づいたので、聞いてほしい。これで失われた球場話は、最後にする所存。その他あれこれ加えつつ、最後にちっとだけ「おもひで酒場」の暖簾をくぐってくださいな。

■日生球場
大阪城のほど近くに、近鉄バファローズが準本拠地として使用した日生球場(日本生命球場)があった。ことを、忘れていた(笑)。本拠地にナイター設備がなかった頃の近鉄が盛んに使用した日生球場だったが、1984年に藤井寺球場に照明塔ができてからは開催試合数も減り、1997年に老朽化で閉場。
なんとこの球場最後のプロ野球公式戦が、浪速のホークスファンが騒いだ「生卵事件」の1996年5月近鉄・ダイエー戦!あのころホークスは、弱かった。そして、大阪にはホークスに未練のある人たちがまだいた。隔世の感。
で。私は、この球場に1回しか行ったことがない(どっかーん)。なのに鮮烈に覚えているのは、その試合でオリックスの福良淳一(現GM)が2本もスタンドに打ち込んだから。ブルーウェーブを熱心に現地応援し出した頃なので、おそらく1990年代なかば。年に2、3本しかホームランを打たない福良が2本スタンドに放り込めるほどの「球場のちっこさ」に、驚いたのだ。
とにかくこの球場のすべてが、ボロかった。黒ずんだコンクリートは朽ち果てる寸前で、チケットなくても侵入できそうな安普請のせいか、外周に有刺鉄線がはりめぐらされる中、場内は「上品な」近鉄ファンの怒号が飛び交って、ディストピア感満点。美しい神戸の球場から来た当時のオリックス・ファンは日生球場の雰囲気に衝撃を受け、「はよ帰りたい」と打ち震えるばかりであった。
マネーのゴキブリ帰国事件(真相は球場ではなくマンションに出たらしい)やトイレ臭など、この球場のボロさに関する逸話には事欠かないが、そもそもここは1950年に自社野球部のために日本生命が作ったアマチュア用の球場。そこで無理やり近鉄が試合をしていただけなのである。
可哀そうなのはこの球場、西宮球場や大阪球場と違って、本当にひっそりと閉場したこと。近鉄ファンに惜しまれるどころか、プロ野球最後の試合が警察出動の事件現場になる始末。
その後、知らない間にこの地は例によって「ショッピングモール」となって10周年を迎えている…と風の噂で聞いた私は、そら観察せなあかんと訪れてみることにした。なんらかの球場の痕跡を期待して。

地下鉄・森ノ宮駅の階段を上がると、すぐにそれはあった。「もりのみやキューズモールBASE」。お。施設名にBASEという言葉を付け加えてるあたり、やはり球場を意識してる?と、足元を見ると…。うわ。

めっちゃ意識してますやん。さらに、入ってすぐのところに「BASEパーク」なる広場があり、おっとここに「阪急西宮ガーデンズ」や「なんばパークス」と同じく、ホームベースがあるやないですか。でも日生球場に関する表記は一切ないので、おそらくホームベースがあった場所というわけではなく、モニュメントとは言えないが。

目を皿のようにして比較的小規模なモールを歩き回ったが、日生球場メモリアル的なものは、ついぞ見当たらず。「球場をなかったことにはしてないが、取り立てて後世に伝える気はございません」ちう企業態度と判断。
ただ、屋上に「日本の商業施設では初めて」という楕円形の誰でも利用できるランニングコースがあり、遠目に見たら球場の曲線を模したように見えなくなくもない。ぐるぐる歩いてみたが、大阪城も望める景観が開放的で、下がショッピングモールであることを忘れてしまう。でも。なんでこんなもんがここに?

邪推するに。そもそも日生球場は日本生命が同社の土地に「市民にも広く開放する(運動の)厚生施設」という名目で建設されたものなので、跡地活用に際してランニングコースを作ることによりその精神を残しつつ、現実的にはテナント収入の見込めるショッピングモールにしたのかと(ちょっぴり球場の余韻も残しつつ)。賢い落としどころか。
というわけで。日生球場跡地には球場の残像は明確には残っていなかった。ディストピア感はなくなって、他の失われた球場と同じく、つるんとした資本主義の舞台に。「ああお前もか」と思いつつその場を去ろうとした私は、最後に大きな見落としをしていることに気が付いた。モール内の目立つ場所あっちゃこっちゃに登場してる、こいつ…。


おまえのユニフォーム、近鉄やないか!!
追伸1)
近鉄といえば。藤井寺球場跡地は学校になっててモニュメントがあると知ってはいるが、心理的に遠いので観察はパス。在りし日の球場の姿は私の書籍「野球観察日記」に詳しいので、ぜひ。
追伸2)
阪急西宮ガーデンズのお店でこんなものが売られているシュールさに、頭がくらくらした。ノスタルジーは商品である。

■宝塚球場
阪急ブレーブスの古い資料に、「宝塚球場」という文字があって「ん?」となった。宝塚に球場なんてあったっけ?と調べてみると。
1922年阪急電鉄によって歌劇場近くに作られた「宝塚大運動場」の一部である野球場を、1936年結成初年度の「阪急軍」が1年だけ本拠地使用して、これを「宝塚球場」と表記したらしいのである。翌年には西宮球場が完成し、この球場は解体されて跡地は「宝塚映画製作所」の撮影所に。そして戦後はそれも解体されて「宝塚ファミリーランド」の一部になったと!え!?
宝塚ファミリーランドといえば、私らの年代にとっては夢の国。何度も連れて行ってもらった遊園地の一部が、もともと野球場だったとわ。失われた球場話に、失われた遊園地ジャンルの話まで絡んできたではないか。
どうやら宝塚球場があったのはファミリーランドの端っこで、「世界はひとつ」があったあたりの模様。「世界はひとつ♪」と聞いてメロディが浮かぶ人は、うん。そういう年齢。現在その場所がどうなっているか確かめてみると…。

関西学院初等部。つまり私立の小学校である。厳重な警備のこの小学校をいくら覗き込んでも(あんまりやると逮捕されそう)球場の面影はもちろんないが、ここに野球場があって阪急が試合してたのかと思うと、なんとも感慨深い。
たった1年のプロ野球使用ではあったが、宝塚球場では歴史に残る出来事が起こっている。阪急軍の山下実が左翼席に放り込んだホームランは、プロ野球史上初の「柵越え」ホームランだったのである。それを知って私が思い出したのは、むかし西宮に引っ越した先の近所に古い豪邸があり、「阪急におった山下の家」と知ったこと。そのときは「知らん」ですませてしまったが、歴史に名を刻んだお方だったと、今知れた。
宝塚球場。意外にも、興味深い球場であった。個人的には興奮が冷めやらないが、資料が少なすぎてこれ以上は掘りようがない。というわけで、とりあえず失われた球場の迷い道はこれにて終了。頭を現在の野球に切り替えていこうと思います。
キャンプが始まるというのに、まだ寒いですね。
しつこくおまけ)
阪急西宮ガーデンズに新しくできた「猿田彦珈琲」でこんな商品を発見。

その名も「ブレーブスインザハウス」。ロゴが、まんまである。店の兄ちゃんによると、初西宮出店を記念した店舗限定商品だとか。ガーデンズ出店にあたり西宮球場にリスペクトを払うとは、経営者はただものではない(本物の猿田彦?)。
兄ちゃんは「実はこの場所にはむかし野球場がありまして…」と説明を始めたので、「あ。そうなんすね」と最後まで拝聴してしまった。私は「そういう」タイプだ。
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南 郁夫 (野球観察者・ライター) 通りがかりの草野球から他人がやってるパワプロ画面まで。野球なら何でもじっと見てしまう、ベースボール遊民。あくまで現場観戦主義。心の住所は「がらがらのグリーンスタジアム神戸の二階席」ブログ「三者凡退日記」 |
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