スポーツイラストレーターT.ANDOHの「OUTSIDER’s ReCALL」(106)松崎賢人インタビュー、ストークスで過ごしたプロバスケ人生とこれからのこと(2)

2024年8月30日(イラスト・写真・文/T.ANDOH)

こんにちは!スポーツイラストレーターのT.ANDOHです。
前回に引き続き、プロバスケBリーグ、昨シーズンをもって神戸ストークスを引退された松崎賢人選手の独占インタビューの後編をお送りします。


(2024年8月17日、スポルテリアにて)

2016年シーズン、西宮ストークスとなった古巣に3年振りに戻ってきた松崎選手。
国内のリーグがNBLから、bjリーグと統合し新設されたBリーグとなった初年度でした。

「知ってるメンバーもいたし、なによりも地元なので、違和感なくチームには溶け込むことができました。竹野さん(竹野明倫選手)がいてガードをシェアしていましたが、自分の役割もしっかりしていたので、やりやすかったです」

Bリーグ初年度にはB2優勝をし、1年でB1昇格を果たしたストークスでした。しかし翌年にはB1リーグで苦戦をし1年でB2に降格してしまいます。昇降格の厳しさももちろんながら、Bリーグになり急速にバスケ界のレベルが向上したことは、選手としても身に染みて実感したことだったようです。

「いままでのリーグとは違い、レベルに”波”を感じることがなく、最低レベルが安定したまま右肩上がりしていったって印象です」
「NBA経験者の外国人プレイヤーが入ってきたり、シーズンを重ねるにつれてB1からB2にやってくる大物選手もたくさん現れてきたので、チームの大きな浮き沈みもなく、ぐんぐんとレベルを上げていきましたよね」

この10年たらずの中でも、Bリーグができてバスケットボール自体のレベルが急激に向上しました。強くて面白いゲームが見られると、お客さんも増えてきて、チームも売り上げが上がるので、より良い条件でチームが運営できる。

「ファンの数やファンの層が変わりましたよね。西宮の市民の皆さんにもチームの存在が浸透してたくさんの人が来てくれました。支援してくれる地元の会社の方々も増えていったので、もちろん自分たちの給料も上がりましたし、バスケに取り組む環境は良くなっていきました」

ブースターやスポンサーも「応援をする価値」を見出して試合会場にも足を運ぶ。松崎選手もその急速な進歩の中でも、チームの中心選手として長らくプレーをしてきました。

チームの変化の中でも印象に残っていることも聞いてみました。

「NBAでもプレーしたラリー・オーウェンスがいた時は、僕らも結構ミーハー気分でバスケの話を聞いたり、アドバイスを受けましたね。一方でやはり一緒にプレーをしていたドゥレイロン・バーンズなどとは、陽気な性格のままフランクに楽しくやっていました。二人とも経験値は抜群だったし、実際によく動ける選手だったので、すごく一緒にやっていて楽しかったですね」

ストークスでも、NBA経験プレイヤーやB1でも通用するベテランの選手がチームに良い刺激を与えていました。監督も何人か交代しました。

「ストークス復帰時は天日軒作さんで、入った時はちょっと自分に合うかな?っていう不安もありました(笑)。バスケに熱いし、実際にとてもバスケの好きな一生懸命な監督さんでしたけど、その熱血漢が自分に合うかなって。練習も厳しかったですしね」

bjリーグ時代に大阪エヴェッサを3連覇に導いた天日軒作ヘッドコーチ。ストイックなスタイルで定評の監督さんでしたが、ストークスでも2シーズン指導をされました。

「マジ厳しかったですよ(笑)。体育館の隣にあるトラックで朝から走り込みをやったり、アップもそこそこにメニューを全力で求めてくるような方でしたから。それでも、ベテランのバシさん(石橋晴行選手)が一生懸命走ってるのを見てたら、自分もやらなアカンなと思って、懸命にやりましたね(笑)」

大阪エヴェッサでもプレーし、幾多のチームを渡り歩いた石橋晴行選手は、松崎選手にとって子供の頃からプレーを見ていたベテラン選手。ストークス在籍中は良い相談相手になってくれていたそうです。その後もライコビッチコーチ、フィッシャーコーチといった個性的な監督のもとで歴戦をし、B2リーグを戦ってきた松崎選手。

リーグの底上げめざましく、バスケットボール自体がワールドカップやオリンピックにも出たことでその注目をさらに高めていきました。サッカーやラグビーなども世界に出て”身の程を知る”ような思いも重ねて、いま世界とも戦えるようなレベルになりましたよね。
Bリーグもさらに世界を対等に戦えるリーグを目指し、更なるトップリーグ化の構想があります。

ストークスは昨シーズンから本拠地を神戸市に移転。神戸アリーナ(G-LION ARENA)も建設をし、そのトップリーグ参入を目指して動き出していますが、その一方で松崎選手は昨シーズンをもっての現役引退を決意しました。

「Bリーグが発展してく中で、ほんとうにブースターも増えて、たくさんの人に注目されるようになりました。選手のレベルが上がれば、バスケを見る人の目も肥えてきて、いろんな人の中に物足りなさも出てくるようになったと思うんです。ベテランとしても、その時代の流れに対して“変化”がある方が良いと思ったんですよね」

熊本移籍のときと同様、引退についても切り出したのは松崎選手の方からでした。選手として、チームに変化をもたらすことを自分から行動して、アプローチしたかったという松崎選手。ほんとうにチームや選手をよく見ていて、チームやファンのことも考えて、自ら変化をもたらすことができる選手だったんだなと実感しました。

「体力がついていけなくなって、ボロボロになって戦力外になるとかよりは、自分からやめる方が良いとも思っていましたしね(笑)。それをチームも受け入れてくれて、セレモニーなどをやってもらえたので、本当に良かったと思ってます」

2024年4月21日、古巣熊本ヴォルターズと対戦したシーズン最終戦に、松崎選手の引退セレモニーが開催されました。両チームのブースターから惜別の声が上がるなか、ともにチームを支えてきた道原、谷選手といったチームメイトに見届けられて引退をしました。
そして、今後新リーグ入りを目指して、神戸アリーナで躍進するストークスにこう期待をしてくれました。

「神戸に移転し、アリーナもできる状態で、やっぱりプレミア(新リーグ)で戦える魅力的なチームになってほしいです。
めちゃくちゃ強いチームになるためには時間はかかると思うけど、ストークスらしさというものを確立できるチームになってほしい。もちろん地元出身の選手もいて、地域のブースターさんの希望にもなってほしいです」

引退してから、阪神タイガースやヴィッセル神戸の試合など、地元のプロチームの試合にも足を運ぶようになったという松崎選手。

「駅からスタジアムまでの道のりが、チームカラーの旗とかが並んでて、お店なんかも出てるとワクワクするじゃないですか。お祭りみたいな感じで。三宮駅からアリーナまでもそういう景色ができて、街全体がチームを応援してくれるような雰囲気になると良いですよね」

神戸港のベイエリア、京橋交差点の先に建設中の神戸(G-LION)アリーナ。三宮駅から市役所、東遊園地と、フラワーロードを通ってアリーナに通じます。港周辺になるとどうしても寂しくなる景色を、ストークスが変えてくれるかもしれない。
神戸市民の新しいシンボルとして、街が活性化するチームができる夢を抱きつつ、松崎選手もその夢を引き続き支えます。

「神戸ストークスU-18(ユースチーム)のヘッドコーチとして、有能な選手をトップチームに送り込むことを主題に、この春から活動させてもらっています。高校生主体のU-18のチームは、高校の部活と違って「インターハイ」にも出られませんし、全国大会のようなステイタスがないんです」
「それでもプロになりたいと思って、高校の部活を選ばずチームに入ってくれる子たちがたくさんいます。そんな子どもたちに、ユースチームを選んで良かったと思ってもらえるようにしたいです」

引退しても神戸ストークスの一員として、今度は自分が次なるストークスの選手を育てる立場になりました。

「やっぱ、僕も小さな頃からたくさんの人にバスケを教えてもらって、プロでここまでやることができたので、今度は僕が支える側になって、魅力あるチームにしていければと思います」

ほんとうに選手にもブースターにも慕われている松崎選手。人あたりも良くて”しゃべり”も上手なので、これからはOBとして、指導者としての更なる活躍が楽しみになりました。地元を知り、プロの世界を自らの力で切り拓いてきた松崎選手ですから、培った経験値と洞察力。
そして信念を自ら発信していく勇気は、これからも神戸を舞台にたくさんの人に影響を与えてくれることを期待したいです。
最後に、10月から始まる今シーズンに期待したいことを、同級生の谷直樹、中西良太、そして道原紀晃選手に託してくれました。

「直樹、中西、ノリ(道原)にはもうっかいすごいスタッツを残すようなインパクトのあるシーズンを過ごして、次代に繋いでほしいと思う。実力でプレミアの座も勝ち得て、40歳過ぎても一線で戦える選手として、1年でも長く頑張ってほしいですね」

ストークスの歴史を継承し刻んでいくためにも、同級生たちに自分の夢を預ける。
松崎選手の温かさを感じながら締めくくってもらいました。
僕も個人的に長いこと公私に渡って仲良くさせてもらっていましたが、あらためて松崎選手の人柄に触れるインタビューとなりました。
ガツガツしたところはないのですが、とても深いところで人やチームを観察していて、しっかりとその信念をもとに自分の足で踏み出すことができる松崎選手。
その判断力のかげには、お父さんやご家族、地元の仲間、そしてチームメイトでもあった同級生の存在も大きく…。
松崎選手の歴史はこれからもストークスの歴史として、街や人を巻き込んでさらに大きな力になるのではと思いました。
あらためて松崎賢人の現役時代の奮闘を称え、これからの前途を応援したいと思います。

―終わりー

松崎賢人選手インタビュー前編はこちら

 

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スポーツイラストレーターT.ANDOH

おもにスポーツを題材にしたイラストやデザインの創作で、スポーツ界の活性に寄与した活動を展開中。

プロ野球やプロバスケBリーグのチーム、選手にイラスト提供。

プロ野球選手には、伏見寅威選手(北海道日本ハムファイターズ)、中川圭太選手(オリックス・バファローズ)にロゴデザイン、イラスト提供中。

名古屋在住にも関わらず20年来のオリックスファンであり、その由来とイラストレーターの起源は神戸にある…!?

 

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