南 郁夫の野球観察日記(41) がんばれ、山﨑福也。オリックス背番号0の系譜
2017年12月7日(文/南 郁夫、写真/Yasutomo)
「えっ」という間に、世は師走。別に、慌ただしくはない。試合がないからヒマである。野球の話題といえば契約更改くらいの年末であるが、人様のお金の話には無反応の、野球観察者。スーツ姿(さすがに昨今セカンドバッグはなし?)の選手になど、用はない。
んが。オリックス・山﨑福也投手が200万円減(1700万円:推定)で契約更改するとともに「背番号を17から0に変更する」という話には、「えっ」と反応したのである。私は昔から、背番号にまつわるネタが大好きなのだ。
野球選手って、背番号そのものであると思う。人相と数字が完全に一致してこそ、名選手だ。背中の番号のデザインと書体に、ファンの記憶が染み込んでいる。中でも異彩を放つのが「0」という数字。果たして0は数字なのか概念なのか? という哲学的考察は置いといて、それを背負う選手には「何か」がありそうである。あまり広げても収拾がつかなくなるので、今回はオリックスの背番号「0」の話をする。
で。山﨑福也といえば、KO降板後の「試合中強制帰阪」ばかりが話題になった今シーズン。何も打たれたくらいで試合中に球場から退去させなくても…と、あの憎めない顔を思うと可哀想になるが、それだけ期待が大きいということか、叱られキャラなのか? 14年ドラ1のサウスポー。慢性左腕不足のチーム事情の中、期待されながら(私の開幕前コラムでも10勝を妄想)とほほの今季2勝、通算でも8勝止まり。ほんのときたま見せる快投でなんとか一軍にぶら下がってはいるが、崖っぷち感はひしひし。
それにしても。ドラ1左腕の育たないこのチームの伝統はそもそも…(以下自粛)
そんな中。日本ハムからFA取得した増井に自分の17番を譲る形で、山﨑は背番号を「0」にするという。増井が17を欲しがったのかどうなのか、そこんとこはよく分からないのだが(まさかハム時代の19を金子からは取れないし)、おそらくフロント主導で変更が決まり、山﨑自身があえて「0」を選んだらしい。投手なのに!て話である。まあ、ロッテの荻野(07-14)でファンには免疫はあるとはいえ。来年のマウンドで感じるであろう違和感を含めて、私好みの背番号ストーリーが誕生したのだ。
山﨑にとってチームのレジェンド・エースナンバーである17(山田久志、長谷川滋利)の重圧を感じるよりは(それ以降は、戸叶、香月、東野だけどね)、なんとなくトボけた印象のある「0」を背負ってる方がキャラに合っているのではなかろうか? なんてことを言えば、かつての背番号0選手たちに失礼か。
というわけで、オリックスの背番号0にはどんな選手がいたのか? と系譜を紐解くと…
(ちなみに阪急ブレーブスで背番号0は存在せず)
まず。チームの「0」の歴史は、89年の野中でスタート。投手から内野手に転向するにあたって18から変更するという、今回の山﨑と似ているような似ていないようなパターン。翌90年には34から変更した阪急戦士の南牟礼(外野手)が引き継ぐも、91年シーズン途中に中日へ交換トレード。代わりに来た川畑がそのまま0を引き継ぐのだが、その川畑は投手。したがって山﨑はチーム初の「投手で0」ではなかったのだが、その川畑は翌年34に変更しているので「仕方なく投手で0」だったとはいえる。ちなみに川畑は現オリックス・スコアラー!
そして。92~97年は、言わずと知れた本西である。9から変更して開花。チーム最盛期を支えたまさに鉄壁の守備で、弟子のライト・イチロー、レフト・田口とともに史上最強外野陣を構成していたセンター本西の背中に光る「0」を覚えている方も、多いだろう。3人の守備範囲は、外野の総面積を超えていた。ああ、グリーンスタジアム神戸、最良の日々。
99~01年は松元(外野手)、少し間が空いて05年は福留宏(内野手)が1年だけつけた後、06~12年はルパン森山(外野手)である。こう見ると、オリックスの「0」は好守の外野手のイメージが強いのか。14~15年は鉄平(外野手)が付けていたことが、記憶に新しい。
ついでに。「0」とよく似た「00」の系譜を駆け足で紹介すると、
マルチネス(92年:内野手)、村上真(94-95年:外野手)、広永(97-99年:外野手)、藤立(00-01年:外野手)、五島(05年:内野手)、軒作(06-07年:投手)、山崎浩(08-09年:内野手)、坪井(11年:外野手)、ミンチェ(12-13年:投手)、丸毛(14-15年:外野手)、園部(16年:内野手)、西浦(18年ドラ6:外野手)。
うーん。並べてみると「0」も「00」も「曲者」というか、言葉が悪いが「訳あり」というか「流れ者」というか、そういう選手が多くて面白い。最初から「0」「00」という例はほとんどなく、「意味深」に変更したという背景が濃厚である。移籍選手も多い。数字通りというか(文字通りというか)「再スタート」というニュアンスを、確かに感じてしまうのも事実。
ただ… 気になるのは「0」「00」をつけたまま「引退」というパターンも多いこと。あらら~。例えばサーパス最強の二塁手・福留宏や私のフェイバリットBWである五島裕二は、それぞれ最終年に「4から0」「45から00」に変更して、その年のみで引退している。引退番号なのかああ!
などと、山﨑にはとんでもなく縁起でもないことを言ってしまったが、彼はまだ25歳。思い出したように快投さえしてくれれば(こらこら)、まだまだ先は長かろう。背番号フェチの私としては、彼がこのチームの「背番号0」の歴史を大きく塗り替えてくれることを期待したい。「0」ってかっこいい数字でもあるので。場合によっては(デザインによっては)、来シーズンの山﨑ユニを買ってもいい。これが私の誠意だ(意味不明)。
ちなみに、背番号0への変更ということでマスコミは「心機一転」とか「0からのスタート」とかそういう見出しのコメントを取りたがったが、0を選んだ理由を問われた山﨑のコメントは、こうである。
「珍しいから」
珍しいって… 君なあ。
そんな山﨑福也 #0 が、好きである。
「巻末付録:野球観察者・期末試験」
<第1問>プロ野球史上初めて背番号0を付けた選手と所属チーム名を答えなさい
<第2問>プロ野球史上初めて背番号00を付けた選手と所属チーム名を答えなさい
<第3問>プロ野球史上初めて背番号02を付けた選手とそのアホな理由を答えなさい
<第4問>オリックス園部選手の驚きの背番号の変遷を時系列を追って列挙しなさい
<過去コラム一挙掲載!>
オリックス、元メジャーリーガー、女子野球…ベースボール遊民・南郁夫の野球コラム集。
南 郁夫 (野球観察者・ライター) 通りがかりの草野球から他人がやってるパワプロ画面まで。野球なら何でもじっと見てしまう、ベースボール遊民。あくまで現場観戦主義。心の住所は「がらがらのグリーンスタジアム神戸の二階席」
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