南 郁夫の野球観察日記(189)球場の残像 阪急西宮ガーデンズ探訪
2024年12月7日 (文・写真/南 郁夫)
ひっそり、シーズン・オフである。楽天・辰巳のコスプレとオリックス・紅林の「背番号6が欲しい」宣言以外は刺激的な話題もなく、野球ファンにとっては静かな日常。でもそれも悪くない。
It’s only 野球、年がら年中やられても困る。気候のいい時期にのんびりスタンドから観察する、それが野球。そんな季節を懐かしみつつ「冬ごもり」もまた、球春を待つ楽しい時期なのである。
頬にあたる風も冷たくなってきた最近、年齢のせいか?ふっと頭に浮かぶは昔の記憶。先日「阪急西宮ガーデンズ」をうろついているとき突然、「ここが元々なんだったか?」を本当に久しぶりにまざまざと思い出し、愕然とした。土地の記憶が私を呼んだのか?買物客ほぼ全員がとっくに忘れたか知らないかの、厳然たる過去。
生活圏内に阪急西宮スタジアム(西宮球場)があったから、幼いときの私はプロ野球が「実在」することを知った。時は昭和の高度成長期、巨人戦しか中継がない時代。テレビの中で巨人が相手だけを変えて試合するのがプロ野球と思っていた、ほとんどのアホな子供達。西宮球場の存在を知り、その中で巨人じゃないチームが試合していて、それもプロ野球と知ったときの私の驚きと言ったら…。
物心もついた1970年代、西宮球場でその巨人との日本シリーズが行われたときの界隈も含めた盛り上がりは、いまだに昨日のことのようによく覚えている。
時を経て。2002年に閉場した球場跡地に2008年に開業した、阪急西宮ガーデンズ(以降ガーデンズと呼ぶ)。普段はがっらがらで有名だった球場とは裏腹に、このショッピングモールは多くの人を集めて大成功。私も球場に行った回数の「数十?百?倍」はここに足を運んでいる。そしてすっかり球場の存在は忘却の彼方へと…。
「なんか申し訳ない」
よくわからないそんな心境で、今日はこの地で球場の「残像」をしみじみと探してみようと思う。数十年ぶりの墓参りのような気持ちで。
まずはガーデンズ周辺から。もちろんどこを探したって球場の形跡は皆無だが、実はガーデンズの1F正面エントランスに至る東西の道路はいまだに「球場前線」、球場前線を南北に横切る津門川にかかる橋は「球場橋」と呼ばれており、そのプレートをガーデンズの少し西側で拝むことができる。
残像その1は、道路と橋の名前。
さすがの阪急も「ガーデンズ前線」「ガーデンズ橋」への変更を行政に要求するわけにはいかなかったか。
ガーデンズに真っ直ぐ向かう道が「球場前線」っていうのが、泣ける。地図にも永遠に残る、球場の残像である。近い将来、誰もその由来を説明できなくなる気もするが。で。球場前線からガーデンズを望む光景は、こんな感じ。
同じようなアングルで、ガーデンズに展示されている球場のジオラマ模型(後述)を撮影すると、こんな感じ。
球場がガーデンズよりだいぶ奥まった場所に建っていたことが、確認できる。ガーデンズのエントランスあたり(阪急百貨店の一部分)には、かつて球場に至る素敵な並木道とボーリング場があった。
余談だが、高校の先輩である故・大森一樹監督の映画「風の歌を聴け」(原作:村上春樹)の1シーンがちょうどこの地点で撮影されていて、当時を知る人が見たら涙ちょちょぎれるはず。
球場前線を進み、これもいまだに「球場前踏切」と呼ばれる踏切を越えたら、球場跡地っていうか、ガーデンズ。その北側にある交番横の小さい公園には「西宮北口ものがたり」なる、たぶん行政が設置した金属製看板があり、完成直後の球場写真を見ることができる。
残像その2は、公園の看板。
んが。古くもないのに説明文は消えてしまって、読めない。どこの広告会社のやっつけ仕事か?笑
さらに公園を越えてガーデンズを囲む道を少し東に進むと(この道の球場型の湾曲ぶりこそ球場の残像)、きらびやかなガーデンズの隣にあるにはあまりに渋すぎる喫茶店が、見えてくる。
喫茶店「ひさご」が、残像その3である。
この店、球場があった頃は全盛期の阪急ブレーブス選手の溜まり場だったことで、つとに有名なのだ。
「米田や足立が球場入り前に90円のホットをすする。長池が新聞を広げ、森本や大橋もカウンターで肘をつく。そのままオーダーが組める顔ぶれだった。」(中央公論新社刊「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶」より抜粋)
私は小心者なのでよう入らなかったが、中に阪急ブレーブスの残像はないはず。店主は「(試合前で)心を落ち着かせてほしいから」選手にサインも写真もせがんだことはないらしいので。ホットがいくらになってるかくらいは確認してもよかったかもしれない。
さて。周辺の残像はこれくらいなので、ガーデンズ内部の残像をお伝えしよう。さすがに阪急として球団譲渡・球場取り壊しという重い過去を無視するわけにはいかなかったのか、ガーデンズには明確な球場の残像(というよりモニュメント)が2箇所、開業当時から存在しているのだ。
残像その4は、4Fスカイガーデン(屋上遊園)のイベントステージ横にひっそり設置された、ホームプレートとシンプルな球場写真。
ホームプレートは球場にあったそれと同じ位置・角度(屋上なので高さは違うけど)に配置されているので、かつての球場を知る者にとっては現在と過去の建造物の位置関係をレイヤーで把握できる、貴重なモニュメントである。
「福本はTOHOシネマズあたりを守っていたのか」とか。打者目線でそこに立ち「高井の代打ホームランはジョーシン電機の方に飛んでいくはず」と、妄想に耽る私。横のステージではスズメのように肩を寄せて自分たちのダンスをスマホで撮影する、地元の女子高生たち。いやはやまったく、昭和は遠くになりにけり。この表現がすでに、昭和。
しんみりしながら、ガーデンズ内を移動。かの有名な球場のジオラマ模型がある5Fのクリスタルガーデン「阪急西宮ギャラリー」こそ、最後のそして最大の、残像その5である。
このジオラマ、ガーデンズ開業時はTOHOシネマズ横にあったのが、知らない間に移転していた。この精密な模型を前にすれば、もはやなんらの説明も不要。かつての球場を知る者は、あふれ出る記憶を抑えることはできないだろう。阪急はある意味、秀逸な「罪滅ぼし」を残してくれたわけである。その点では、評価したい。
ジオラマはつるんと綺麗だが、じいっと見入っていると次第に… あの昭和の黒ずんだコンクリートの手触りを伴った球場や周囲の光景が脳内に甦って白目を剥き、それらは「そのもの」に見えてくるだろう。昭和の西宮球場を、あなたは歩いているだろう。(狂気)
ああ、あの薄暗い照明、タバコと酒とスルメくさいスタンド、選手もおっさん、ファンもおっさんの、昭和のプロ野球の質感。駅の南口から球場に向かうまでにあったカレー屋、おでん屋…「ああ」「うう」とか言いながら、ジオラマの周囲をぐるぐる回っている不審者に周囲の家族づれが、後ずさり。
このギャラリー詳細は以下に写真で紹介するが、ぜひあなたも実際にここに来て「ああ」「うう」とうめいて気味悪がられながら、球場の残像を味わってほしい。ジオラマの横には球団の記念品も申し訳程度に展示されているので、そちらもぜひ。
今回は西宮球場の残像を確かめてみた。球団や球場が突然消滅したことを思えば、どんなものだって永遠に存在するわけはない。
もちろんガーデンズだって…。
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南 郁夫 (野球観察者・ライター) 通りがかりの草野球から他人がやってるパワプロ画面まで。野球なら何でもじっと見てしまう、ベースボール遊民。あくまで現場観戦主義。心の住所は「がらがらのグリーンスタジアム神戸の二階席」ブログ「三者凡退日記」 |
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