南 郁夫の野球観察日記(51)
オリックス 背番号の変遷「40」〜「99」

2018年4月9日(文/南 郁夫)


プロ野球が開幕したというのに、まだ背番号のことをどうこう言っている野球ファンは間違いなく、私だけである。妙なところに真面目なので、誰からも要請がないのにこれをやり切ってしまいたいと思うっ。というわけで、いよいよ苦しくなってくる40番以降。さすがにコメントしづらい番号は「データのみ」ということでご了承を。選手の栄枯盛衰をたどって、あなたの記憶の扉を開け閉めしてほしい。なお、記載は選手のみとし、監督・コーチは省略している。

「40」
福原峰夫[内](82-92)、金田政彦[投](93-98)、徳元敏[投](99-00)、山崎慎太郎[投](01-02)、前田大輔[捕](03-07)、宮本大輔[投](08-09)、喜田剛[内](10)、高宮和也[投](11-12)、ミルズ[投](13)、大山暁史[投](14-15)、鈴木昴平[内](17〜)

いろんな人が行ったり来たり〜。金田はその後15へ。前田はその後22へと背番号を軽くしているが、大山は69へと重くしながらも、まだ踏ん張っている。

「41」
高橋功一[投](90-01)、塩谷和彦[内](02)、松村豊司[投](04-07)、小瀬浩之[外](08-10)


事実上の欠番。合掌。

「42」
シュルジー[投](90-92)、タイゲイニー[外](93-94)、ナナリー[外](00)、萩原淳[投](02-07)、カブレラ[内](08-10)、フィガロ[投](11-13)、ペーニャ[外](14)、ブランコ[内](15-16)、ヘルメン[投](17)



言わずと知れた、外国人番号。この「日本人には縁起の悪い」番号をあえて付けた萩原の、そういうワイルドさが好きだったが、やはり代表選手はカブレラである。遊んでいるよな享楽的プレイスタイルは、どちらかといえば(くそ)真面目なチームとそのファンに大きな衝撃を与えた。いい加減な守備が、忘れられない。私にとって理想の外国人選手。こういう選手を見に、球場まで行くのである。彼の歌まで作ったくらいだ。







「43」
古賀豪紀[外](89-93)、平塚克洋[外](94)、鈴木平[投](95-99)、ブロウズ[投](00)、徳元敏[投](01-04)、菊地原毅[投](07-09)、阿南徹[投](10-12)、伊原正樹[投](13-14)、坂寄晴一[投](15-16)、山本由伸[投](17〜)



オリッでこの番号を一躍有名にしたのが、ヤクルトから移籍してチーム黄金時代を抑えで支えた鈴木平。そのクセのある投球フォームは、未だに脳裏に残る。その後、この番号が投手番号となっていることは、このチームには珍しい背番号変遷の特徴といえば、特徴か。

「44」
ブーマー[内](84-91)、高橋智[外](92-98)、ペレス[外](99)、マルセド[外](00)、新井潔[内](01-02)、高見澤考史[外](03)、副島孔太[外](04)、鈴木郁洋[捕](05-12)、フェルナンデス[内](13)、園部聡[内](14)、クラーク[内](16)、園部聡[内](17〜)



ブーマーの印象があまりにも強いが、マイフェイバリットは高橋智。今のご時世では存在が許されないであろう、自由気ままでツッコミどころ満載のプレイとキャラクターが痛快だった。精度は低いが、彼の弾丸ライナーのホームランには本当にワクワクさせられた。引退後は地道にやっているらしいが、ほんまかいな?と。日本人で初めて「ピアス」をしたプロ野球選手である。そういうとこが、ね。

「45」
佐藤和弘[外](90-93)、五島裕二[投・内](95-04)、光原逸裕[投](05-10)、斎藤俊雄[捕](11-16)、飯田大祐[捕](17〜)



五島(ゴッシー)もまた、なぜか私の(よくわからない)琴線に触れた選手。大きなことをやりそうで・・やらない!そのまったりとしたおおらかな雰囲気が好きだった。応援歌は背番号前任者のパンチのものをそのまま流用されていたような記憶が。

「46」
山本誠[投](89-91)、清原雄一[投](92-98)、迎祐一郎[外](00-07)、古木克明[外](08-09)、菊地原毅[投](10)、小島心二郎[投](11)、川端崇義[外](12-17)、本田仁海[投](18〜)



川端は「なんとかしてくれる」好選手だったが、27歳でのプロ入りはいかんせん、遅すぎた。メッセンジャーから満塁ホームランを打つなど、ルーキーイヤーの活躍は鮮烈で、多くの「渋め」ファンが46のユニフォームを着て応援する光景が球場に見受けられた。特技:けん玉。川端以降、吉田一将や西野、そして今年のスーパールーキー・田嶋など、多くのJR東日本出身選手がチームのお馴染みとなった。

「47」
村上信一[外](82-93)、渡辺伸彦[投](94)、前田康伺[投](95)、日高剛[捕](96-03)、由田慎太郎[外](04)、宮本大輔[投](05-06)、延江大輔[投](07-11)、海田智行[投](12〜)

日高は47のぼてっとしたイメージが、しっくりくる。

「48」
佐々木明義[内](90-95)、太田敦士[投](96-00)、竜太郎[外](02-04)、阿部健太[投](05-07)、吉野誠[投](08-12)、甲藤啓介[投](13-14)、斎藤綱紀[投](15〜)

オリッでも楽天でも48で通したということで、竜太郎の番号。んが、楽天移籍時に希望していた番号は実は7だったが、同時に移籍した山崎武司も希望したために、譲ったらしい。譲った? 裏には「恫喝」があったと思われる(一応冗談)。

「49」
杉本尚文[捕](90-00)、川崎義文[捕](01)、後藤光尊[内](02-03)、ムーア[投](04)、パーラ[投](05)、中山慎也[投](06-11)、庄司龍二[捕](12-14)、白仁田寛和[投](15-16)、澤田圭祐[投](17〜)



イチロー以外ではブルーウェーブ在籍の最後の選手になるまで頑張った後藤の、「はじまり」番号。野球センスは一流だが、性格が一匹狼で中心選手というタイプではなかった後藤は、その後の1や24より49の方が似合っていたと、私は思う。

「50」
戸羽隆[内](89-92)、西岡剛[投](93-94)、四條稔[外](95)、久保充広[捕](96-00)、高橋信夫[捕](01)、牧田勝吾[内](02-04)、大西宏明[外](05-07)、オルティズ[投](08)、金澤健人[投](09-10)、マクレーン[投](11-12)、近藤一樹[投](13-14)、小田裕也[外](15〜)

「51」
八木政義[投](88-91)、イチロー(鈴木一朗)[外](92-00)



出た! 事実上の永久欠番。背番号を変更せず、こういう大きい番号を「意味のあるもの」にしたイチローはやはり先駆者である。イチローが現役である以上、この番号をつける勇気は誰にもない。んが。彼が現役を引退したら… この球団はあっさり外国人選手とかに51を与えちゃうのではなかろうか? マジで怖。

「52」
高橋智[投・外](85-91)、西本聖[投](93)、バラー[投](94)、本東洋[投](95)、大島公一[内](96-04)、坂口智隆[外](05-09)、バルディリス[内](10-13)、榊原諒[投](14-15)、コーディエ[投](16)、岡崎大輔[内](17〜)



大島が背負った52は「とても大きく」見えた。彼の解説はなかなかよい。坂口の出世前番号としても有名。

「53」
山崎尚史[投](89-91)、西芳弘[外](92-98)、ゴンザレス[内](99)、上村一裕[捕](01-05)、相川良太[外](06-10)、野中信吾[外](11-13)、吉田雄人[外](14〜)

「54」
別府修作[捕](89)、遠藤繁浩[投](90-93)、斉藤秀光[内](94-01)、窪田淳[投](02-03)、嶋村一輝(一輝)[内](04-09)、金子圭輔[内](10)、伊藤光[捕](11)、高橋秀聡[投](12-13)、堤裕貴[内](15-16)、黒木優太[投](17〜)

別府さんは54だったのか。あと、あじさい球場で応援する「一輝」嶋村ファミリーを見たことある。オリッでの最終年だけ背番号3になって期待されたが、結果出ず翌年トレード〜引退。引退後は指導者として活躍しているのが、少し意外。

「55」
島袋修[捕](87-91)、萩原淳[内・投](92-01)、セギノール[内](02)、吉井理人[投](03-04)、ユウキ[投](05)、T−岡田(岡田貴弘)(06〜)



松井秀喜が有名にした番号だが、オリッではすっかりT−岡田の番号として定着。そういえば、知らぬ間に誰も「浪速のゴジラ」とは言わなくなっている。それだけT−岡田はT−岡田なのである。背番号フェチの中では人気ある「ゾロ目」の中では一番強そうな字面の、55。T−岡田は十分そのイメージに応えていると思う。

「56」
佐藤秀信[内](90-93)、福留宏紀[内](94-00)、山本拓司[投](02-05)、柴田亮輔[内](06-12)、武田健吾[外](13〜)

「57」
竹本修[投](87-90)、斎藤巧[捕](91)、北川晋[投](92-97)、キヨ(杉本潔彦)[投](98-01)、深谷亮司[捕](02)、塩谷大輔[投](03-04)、筧裕次郎[内](05-08)、山田信義[投](10〜)

キヨて… 当時そういうのが流行った。

「58」
山中賢次[内](86-90)、岩崎久則[投](91-97)、小倉恒[投](98)、高見澤考史[外](01-02)、菊池俊夫[内](03-04)、三木仁[内](05-06)、長田昌浩[内](07-10)、梶本勇介[内](11-12)、戸田亮[投](13-15)、角屋龍太[投](16)、金田和之[投](17〜)

「59」
小浜裕一[投](88-94)、ボニチ[内](97-98)、北川智規[投](01-04)、中本和季[内](05-06)、梅村学人[投](07-09)、セギノール[内](10)、塚原頌平[投](11-16)、根本薫[外](17〜)



せっかく「59は塚原」で定着していたのに、変える必要あったのか?

「60」
芦刈芳久[投](89-91)、佐川潔[投](93)、田中雅興[外](96-01)、板倉康弘[外](02-03)、小島昌也[外](04)、牧田勝吾[内](05-08)(50から)、高波文一[外](09)、前田祐二[投](10-15)、赤間謙[投](16〜)

入団時「ポストイチロー」と言われていた田中は引退後、球団職員。田口さん取材時にアテンドしていただいたときに「僕もブルーウェーブの選手だったんですよ〜」と言われるも、どうしても思い出せずに、申し訳なかった。

「61」
清原雄一[投](89-91)、牧野塁[投](93-96)、栗山聡[投](97-01)、島脇信也[投](02-04)、町豪将[投](05-07)、伊藤光[捕](08-10)、朴贊浩[投](11)、伊原正樹[投](12)、松本幸大[投](13)、奥波鏡[内](14-17)、榊原翼[投](18〜)

驚くべきことに、朴贊浩(パク・チャンホ)はドジャース、フィリーズ、オリックス、ハンファの米日韓・通算18年の現役生活を、全て背番号61で通している!なぜ61なのかはわからないが、ここまで筋を通すと気持ちいい(筋の通しやすい番号だが)。それくらいの意識を背番号に持ってほしい。オリッでの活躍はなかったが、私の中で61は完全にパクである。

「62」
風岡尚幸[内](86-93)、長田能隆[投](98-99)、玉木朋孝[内](01-05)、長田勝[捕](06-07)、山崎正貴[投](08-11)、堤裕貴[内](12-13)、山崎勝巳[捕](14〜)

「63」
山本栄二[捕・内](91-98)、高橋浩司[捕](01-04)、吉良俊則[外](05-08)、西勇輝[投](09-11)、中村一生[外](12-16)、山崎颯一郎[投](17〜)

「64」
庄司大介[外](01-02)、中島俊哉[外](03-04)、田中彰[内](05-08)、西川雅人[投](09-12)、森本将太[投](13-16)、佐野皓大[投](17)、廣澤伸哉[内](18〜)

「65」
杉本征使[投](92)、関吉雅人[外](93-97)、徳本政敬[内](98)、戎信行[投](99)、藤本博史[捕](02-03)、近藤一樹[投](05-10)、バイエスタス[投](11-12)、ハモンド[投](13)、山崎正貴[投](14)、近藤一樹[投](15)、八木亮祐[投](16-17)、青山大紀[投](18〜)



近藤一樹の波乱の背番号経緯は、65-11-50-125-65-70である。未だ現役で14年目の苦労人。二軍も含めて、彼の登板を何度見たかわからない。不死鳥のごとき愛すべき「こんちゃん」の現役生活が、1年でも長く続きますように。

「66」
栄村忠広[外](91)、金子歩[投](92)、東政敏[捕](93-00)、橋本泰由[投](02-03)、栗山聡[投](04)、由田慎太郎[外](05-12)、山本和作[内](13-15)、吉田凌[投](16〜)

「67」
佐藤一[投](88-90)、山本大貴[投](92-93)、長田勝[捕](03-04)、横山徹也[捕](05-13)、古川秀一[投](14-15)、佐藤世那[投](16〜)

「68」
余文彬[投](02)、佐野慈紀[投](03)、川口知哉[投](04)、小川裕介[投](05-06)、仁藤拓馬[投](07-10)、深江真登[外](11-14)、鈴木優[投](15〜)



いつもお世話になっています、仁藤さん。現在、球団広報としてチームを支えている。

「69」
土井健大[捕](07-10)、竹原直隆[外](11)、長峰昌司[投](12)、柴田健斗[投](14-15)、大山暁史(16〜)

「90」
パンチ(佐藤和弘)[外](94)、宇都格[投](05)、小島昌也[外](06)

引退年だけ、なぜか45から90にしたパンチ。登録名はパンチなのに、みんな「パンチ佐藤」と呼んでいた不思議。昔は必ずいたこういう胡散臭い選手も、今の球界にはいなくなってしまった。

「91」
カルロス[投](00-01)、谷口悦司[投](05)、ヤング[投](08)、カラバイヨ[外](10-11)、マエストリ[投](12-15)、塚田貴之[投](16-17)

「93」
菊池俊夫[内](05)

「94」
肥田高志[外](05)、梶本達哉[投](08)

「95」
塩谷大輔[投](05)

「96」
井戸伸年[外](05)

「97」
長田勝[捕](05)、田中大輔[捕](15-16)

「98」
栗田雄介[投](05)、チャベス[外](15)、大田阿斗里[投](16)

「99」
ニール[内](98-00)、吉川勝成[投](05-08)、梶本達哉[投](09-11)、西川拓喜[外](13-14)、カラバイヨ[外](15)、杉本裕太郎[外](16〜)



外国人選手以外は、ギリギリの選手が前番号から変更されて付けさせられる印象の、90番台。そんな中、杉本は珍しく「最初から99」である。ぜひブレイクして、有名になった後も99を貫いてほしい。

長らくお付き合いいただきました、「オリックス 背番号の変遷」。これにて、終了である。結構こけっこー、大変な作業だったが、有名無名の全選手を網羅したことで、オリックスというチームの歴史が「深み」を持って理解できたのではなかろうか。私はいろいろまあ、懐かしかった。

考えてみれば、プロ野球の背番号には全く規則性が求められていない。背番号89のスラッガーがいてもいいし、8のエースがいても別に構わないのである。例えばサッカーでは少なくとも1番と10番には万国共通の意味があるし、アメフトでは番号でポジションが大体決まっているのに、そこんとこ野球は自由なのだ。

チームとしての背番号のイメージが… とか言ってたが、結論を言えば背番号のイメージを作るのは選手だった。当たり前だが。傑出した選手が現れれば、その背番号がそのイメージになる。それだけのことである。そして、野球選手には常に背番号が付いて回る。ファンは常に彼らの背中も見ている。名前と番号が一致するのが、一流の証。それだけのことである。

「57て誰?」とか言われるようでは、まだまだなのだ(数字に意味はありません)。








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オリックス 背番号の変遷「30」〜「39」
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南 郁夫 (野球観察者・ライター)
通りがかりの草野球から他人がやってるパワプロ画面まで。野球なら何でもじっと見てしまう、ベースボール遊民。あくまで現場観戦主義。心の住所は「がらがらのグリーンスタジアム神戸の二階席」





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