南 郁夫の野球観察日記(22)
西宮球場があったころ

2016年12月12日(文/南 郁夫)



1980年代はじめの、ある夜。大学生だった私は、大阪梅田のゲームセンターでのバイトを終え、今も変わらぬマルーン色の阪急電車・神戸線で家に帰ろうとしていた。梅田から約10分。仕事の疲れでうとうとしていた私は、電車が西宮北口駅に到着するべく「がくんっ」と減速した揺れで、ふと顔を上げる。と。沿線の建物の谷間から一瞬、鮮やかな照明灯の怪しい灯りがちらっと見える。

「あ、阪急…試合やってるんか」

遊びとバイトで忙しい大学生である。小学生の頃から地元の阪急ブレーブスをぼんやり応援してはいるが、久しく球場には行けていない。今夜は遊びの約束もなく、ヒマである。電車は駅に到着し、プシューっと扉は開いている。目的の駅はまだ先だが、なぜかその日は照明灯の光に誘われて、衝動的にホームに飛び降りる。

現駅舎では消滅した湿っぽい地下道をくぐって、球場方面へ急ぐ。改札口近くに設置された構内スコアボードを見ると、まだ2回が終わったあたりである。急いで駅を出て、小説「勇者たちへの伝言」の舞台にもなった駅前の喫茶店やカレー屋さん(*)の並んだ歩道を足早に行くと、すぐに西宮球場である。

*「カレー・サンボア」は学生しか入れない店であった。制服で行くと店のおばさんが学校名を言い当てるのだ。


球場前に人の気配はまるでなく、とても中で試合をやっているとは思えない。むやみに立派なエントランスが寂しげに私を迎える中、ゲートをくぐってコンクリート臭のする通路を数歩駆け上がると、いきなりカクテル光線に浮かび上がった白と赤の勇者たちのユニフォームが目に入る。球場外の静けさと内部の華やかさのコントラストに、思わず目がくらむ。

そして私は、あまりにもガラガラのスタンドを見回して、息を飲むのだ。

その頃の西宮球場の特に平日ナイターの観客動員数は芳しくなく、思わず数えてしまうほどであった。その日もびっくりするほど少なくて、あえて実数は書かないが「数分で数えきれるほど」であった。どの球団も応援団が陣取る今と違って、外野スタンドはまったくの無人。栄光の70年代戦士たち(山田、福本、蓑田、加藤英、マルカーノ、中沢…)がまだ健在で、チーム成績も上位だったにもかかわらず、そんな入りである。

詳細はきっぱり覚えていないが、阪急がボロ負けしていたことは確かだ。そんな試合の終盤、久しぶりに見る有名投手が、マウンドに登る。あの、山口高志である。まばらな観客が「おっ?」と微弱に反応する。伝説のデビュー(1975年の日本シリーズで獅子奮迅の活躍でMVP)から阪急ブレーブス全盛期の4年間を支え続けた剛腕も、その後は故障でさっぱり。そんな山口がこの日はなんと、敗戦処理で登場なのだ。




確か、その日もボコボコに打たれんだと思う(*)。うつむいてマウンドを降りる山口にまばらなファンから「やめてまえー」の声が飛ぶ。私も何かを言ったような気がする。なんせ観客が少ないので、むしろ個々の声がダイレクトにフィールドに届き、山口の耳に入っていたことは間違いない。かつてのチーム悲願の日本一の大立役者に、罰当たりなファンたちである。

*最終登板は正確には1982年9月3日西武戦の最終回。1イニングを5安打2四球で7失点を喫し、最終スコアは3-16。審判にまで「頑張れ」と励まされた時点で山口は引退を決めたという。(「君は山口高志を見たか」鎮勝也著 より)

その数日後。スポーツ新聞の片隅の記事に「あっ」と言うことになる。そこには「山口高志、現役引退」の文字が。あの日のあんな姿が、プロ野球の歴史に残る剛腕投手の見納めだったのだ。あれほどの名選手の最後が、悲しいほど観客のいない本拠地での敗戦処理「野ざらし」登板とは…。腰痛でとても投げれる状態ではなかったそうである。野次った自分に激しく後悔した次第。

久しぶりになんとなく行った西宮球場でけっこうヘビーな「ドラマ」を見てしまった私は、その後はまたちょくちょく西宮球場に通うことになる。なんせ球場は当時住んでいた家の最寄駅(*)から2駅だし、80年代後半は清原や秋山、渡辺などを擁する西武ライオンズが大人気で、プロ野球史上初めて?パ・リーグに注目が集まったスリリングな時代だったのである。

*阪急甲陽園線・苦楽園口駅。近所に住んでいた山沖とたまたま同じ電車で球場入りしたことがある。




そして1988年シーズン終了直前。とんでもないことが発表されて、全てが変わる。それから約30年が経った、今。

西宮球場は影も形もない。そこには球場の代わりにきらびやかなショッピングモールがそびえ立ち、開業初日の集客は10万人だったそうである。西宮球場の集客を考えると、ため息しか出ない。がしかし、小綺麗な服や雑貨の下にプロ野球選手の汗とドラマが封じ込められている事実は、消し去るわけにはいかないのだ。まあ、そんなこと考えてショッピングしている人はいないだろうが。

阪急ブレーブスもまた、影も形もない。プロ野球自体がなくなったわけではないので普段はそこまで思わないが、昔のプロ野球の記憶が湧き起こったときに、「そのチームも本拠地球場も存在しない」というのは、思いのほか、きついものである。(80年代に関西に存在したパ・リーグ3球団とその本拠地は、すべて存在しない)

それでも。合併や移転という形で、失われたチームの遺伝子は現在に至るまで受け継がれている。ファンの記憶にある限り、かつての野球チームや選手が忘れ去られることはないだろう。それが野球マニアってものだ。失われた球場は脳内で再現するしかないが、仕方がない。想い出話は、ほどほどにするべきである。我々は目の前に存在する野球を見続けるだけだし、来年も私はそうするだろう。

かつて西宮球場があった場所周辺には、球場があったことを示す形跡は何もない。ショッピングモールに球場の模型や記念品が展示されているのが、せめてもの慰めか。特に球場の模型はよくできていて、今でもオールドファンが張り付いて見入っている光景によく出くわす。彼らの目には、山田のアンダースローと福本の盗塁が見えているに違いない。




球場の形跡は…ひとつだけあった。ショッピングモールのやや西にある橋の名前はいまだに、「球場橋」のままである。それはそれで、切ないのだが。







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南 郁夫 (野球観察者・ライター)
通りがかりの草野球から他人がやってるパワプロ画面まで。野球なら何でもじっと見てしまう、ベースボール遊民。あくまで現場観戦主義。心の住所は「がらがらのグリーンスタジアム神戸の二階席」


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