K!SPOで人気のスポーツコラムを執筆している神戸在住の作家・草葉達也さん。44歳から始めたフットサルで、現在は心身ともに健康!というアスリートでもあります。そんな草葉さんに元気の秘密を聞いてきました。
−−草葉さんは現在53歳ということでですが、子どもの頃はどんなスポーツをされていましたか?
「私は子どもの頃からひどい喘息があり、ほとんどスポーツはしていないんですよ。運動会も出た記憶がないぐらいです。体育も中学生の頃は見学ばかりで。スポーツは観るものという感じでした。
ただ、友だちとの遊びが野球という世代なので、体調の良い時は野球をしていましたね。小学校4年生の時には少年野球に入りました。背が高かったのと走ると速いので、草野球でも長打を打つことが多く、友だちに誘われて入りました」
−−それからずっと野球を?
「まぁ遊びではやっていましたが、中学に入るとボールがなんか見えづらくなくなって、眼鏡を作りに行ったのですが眼鏡では視力が全く上がらず、病院を転々として大学病院で【円錐角膜】という、当時では10万人に1人とか言われた進行性の眼病とわかりました」
−−どんな病気なのですか?
「今は医療が発達して検査が確立されているので1万人に1人という病気で、多くが10代から発症し角膜の先がとがってくるというものです。物が何重にも見えるひどい乱視です。現在も原因が不明で、個人差がありますが進行はあるところまで行くと止まると言われています。
私の進行が止まったのは30歳を越えてからです。ハードコンタクトレンズで進行を抑えるという方法がありましたが、40年前ですので今のような高性能のコンタクトレンズも無くて。サイズも限られているので目に入れると30分も装着できないぐらい痛いんですよ。いつの間にかコンタクトレンズを避けるようになり、どんどん進行して、現在は右の視力はほとんどなく、左目も0.06しかありません」
−−それではスポーツどころではないですね…
「そうですよ。スポーツどころか車の免許も取れませんから。ただ、元々の運動神経は良かったみたいで高校の時にバレー部に入って、すぐにレギュラーになったり、頼まれてテニスのダブルスの試合に出て三回戦まで勝ったりしていました。当時は今ほど進行していなかったので何とかできましたが、18歳ぐらいにサーフィンやスケートボード、ローラースケートを始めてから、球技は全くやってなかったです」
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