ありがとう、西浦颯大!
私たちは背番号00を忘れない

2021年9月28日(文/K!SPO編集部、写真/Yasutomo)



9月24日の午後、「_西浦颯大選手、現役引退_」のニュースが飛び込んできた。
「ああ・・・」
私も含め一部のファンが彼のSNSの投稿を見て、数日前から心配していたことが現実になってしまった。球団発表の直後に、自身のSNSに投稿された西浦選手のメッセージ。
「こんな結果になって本当に悔しいです」
「プロ野球選手じゃなくなっても僕の将来の夢はずっとプロ野球選手です」
彼の無念を思うと、言葉にならない。

2017年ドラフト6位指名で入団した西浦選手は、新人入団会見で「目標はイチローさん。2年目にレギュラーを取る」と決意を語った。その言葉通り、初出場の一軍公式戦で鮮やかなヒットを放ち、盗塁を記録した。2年目には、イチロー選手以来という10代でのホームラン。目の覚めるようなダイビングキャッチにレーザービーム、思い切りのいいバッディング、目を見張る走塁・・・
まるでイチローやん!攻走守にわたり高い身体能力と抜群のセンスをみせ、あっという間に私たちファンの心を掴んだ。



レギュラーの位置を掴みかけた3年目のシーズンの終わり、「指定難病の特発性大腿骨頭壊死症のため治療に専念する」ことが発表された。その記者会見で、西浦選手は「絶対に戻ってきます」と、まっすぐ前を向いて発言した。なんてタフな人なんだろう。

どんな病気でも(難病でも、がんでも、コロナ感染症でも、精神疾患でも)当事者になって初めて、その病気の本当の怖さを知る。本人や家族でないと、その辛さや不安、大変さはわからない。

実は、筆者の家族が2年前に同じ特発性大腿骨頭壊死症と診断された。保存的治療を続けながら、毎日を送っている。だから、この病気がどれだけ厳しいものか、少し理解しているつもりだ。ある日突然、なんの前触れもなく襲ってきて、それまでの生活が一変する。手術には大きなリスクが伴い、今のところ効果的な治療法はなく完治は難しい。病気とうまく付き合っていくしかないのだ。

だから、だからこそ、西浦選手のSNSを見ながら、二度の手術も、入院生活も、リハビリに励む姿も、祈るような気持ちで応援していた。西浦選手の前向きな言葉や頑張りに、大勢のファンが励まされた。なんとしてでも、もう一度グラウンドに戻ってきてほしい。西浦選手なら、きっと復活できる。

けれども・・・
発表された内容はつらい現実だった。決断せざるを得なかったのだ。
わずかな可能性を信じて、せいいっぱい闘い、挑戦を続けた西浦選手。

球団から「9月28日ファームの試合で引退セレモニーを行う」と発表があり、チケットはあっという間に完売した。

9月26日、京セラでの一軍公式戦。試合前のベンチに西浦選手の姿があった。円陣の声出しでビジョンに映し出された背番号00。大きな拍手がわき起こり、球場全体が熱い想いで満たされていく。


9月28日、オセアンバファローズスタジアム舞洲。松葉杖で現れた西浦選手の姿に改めて現実を知らされる。真っ黒に日焼けした舞洲軍の選手たちに比べ、肌の白さが闘病の日々を物語っている。9回、選手交代が告げられ、登場曲とともにゆっくりと歩いてセンターの守備につき、笑顔を見せた。
「これが西浦にとっての現役最後のゲームではありますが、れっきとした復帰戦でもあります」
実況の言葉に胸が熱くなる。
守備位置から退いた西浦選手は、対戦相手の広島カープ同学年の中村奨成選手、オリックス同期入団の西村凌選手から花束を受け取り、試合後「ご声援ありがとうございました」と挨拶をした。



西浦颯大(にしうらはやと) 1999年生、明徳義塾高
プロ通算成績:128試合、317打数、61安打、3本塁打、22打点、12盗塁
そして、記憶に残るファインプレーの数々。疾風のように駆け抜けた、短くも濃いプロ野球生活。

私たちファンは背番号00の素晴らしいプレーを決して忘れない。そして、これからもずっと応援する。ありがとう、西浦選手。

22歳。西浦颯大の新たな人生が始まる。この難しい病気を抱えながら。
これからの人生に幸あれ、と願う。



(ロゴマーク入り画像は、オリックス・バファローズ公式Instagram、パ・リーグTVより)






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南 郁夫 (野球観察者・ライター)
通りがかりの草野球から他人がやってるパワプロ画面まで。野球なら何でもじっと見てしまう、ベースボール遊民。あくまで現場観戦主義。心の住所は「がらがらのグリーンスタジアム神戸の二階席」




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