岡村社長は元々空手家として長年活動をされていましたが、師匠からお酒の席で「お前もプロレスの試合に出ろ!」と言われた際に勢いで「押忍!」と言ってしまったそうです。その時、既にマッチメイクも決められてしまったため、テレビで観たことぐらいしかなかったプロレスの試合に出場する羽目になったそうです(笑)
もちろんプロレスの受身など練習したことも無く、そのまま本番を迎え「めちゃくちゃ怖かった!」と振り返られていました。普段から過酷なトレーニングを積んだ選手たちですら、大怪我や時には命を落とすこともある危険なプロレスの試合に出てしまう岡村社長も肝っ玉が座られていて凄いなー!とビックリでした。
当時は、仕方がないのでとりあえず記念に一試合だけ出れば良いと考えていたものの、試合の後にあの阪神・淡路大震災が起こり、神戸で運営していた空手道場も閉鎖せざるを得なくなってしまいました。家族を守るため定期的に試合へ参戦していったことが、本格的にプロレスの世界へと入るきっかけになったのだそうです。
その後、名プロレスラー・ウルティモドラゴン氏がメキシコで開校していた日本人ルチャドール養成学校「闘龍門」が、日本で興行を行う為の部門として、新たな団体を設立しました。当時から親交のあった岡村社長の「格闘技塾 武輝道場」と合併して、1999年に設立されたその団体こそがドラゲーの前身団体である「闘龍門JAPAN」でした。
その「闘龍門JAPAN」を設立した際に唯一の営業経験者が岡村社長でした。初めは仕方がなく裏方の仕事に就いたとのことでしたが、社長として裏方の仕事に就き「選手にはやはり満員の会場で気持ちよく試合をしてほしい」との想いで、地方巡業の度にひたすら現地のお店を回って営業をしたり、空手出身という経験から団体に携わる全ての人に「礼節をわきまえる心」を徹底して説いてきたことなどのお話をお聞きして、ドラゲーがみんなから愛されるプロレス団体へと成長していった基盤なんだと感じました。
年に一度の神戸ワールド記念ホール大会では、この時だけ岡村社長がリング上で挨拶を行うのですが、入場テーマに使用しているのが「デビルマンのうた」です。現役当時に似ていると言われていたことから、お決まりのテーマ曲です。社長の入場は、大会が大きく盛り上がる定番のポイント!当日試合を観に行かれる方は岡村社長へ是非大きな声援をお願いします!
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